2010年2月9日火曜日

写真家四十八宜

 私の大好きな写真家に安井仲治がいる。戦前に活動した写真家で、とにかく今見てもその作品は新鮮で刺激的に感じる。
1930年代はアマチュア作家たちが写真という「芸術」を牽引していた時代。当時の職業写真というのは報道であったり町の写真館で、「写真作家」の中心はアマチュアだったようだ。アマチュア同士が切磋琢磨し時代の映像をリードしていた。

その安井仲治が1940年に『丹平写真倶楽部会報』に発表したのが「写真家四十八宜」。
いろは順に書かれたその文は、写真を撮れば撮るほど、知れば知るほど、身にしみてくる言葉ばかりで‥‥。


「 写真家四十八宜」 光芒亭主人識

「い」  いつそスラムプは大なるがよろし  

「ろ」  ろくでもないもの感心せぬがよろし

「は」  ハツと感じたら写すがよろし    

「に」  ニツコリ微笑む自信はよろし

「ほ」  ほんとに自分を生かすがよろし

「へ」  下手な上手、上手な下手、どちらがよろし

「と」  撮れぬものは撮らぬがよろし

「ち」  チクリと痛い批評はよろし

「り」  理窟倒れも時にはよろし

「ぬ」  塗つた薬は銀乳剤、時節柄無駄せぬがよろし

「る」  類を以つて集ると雖(いえど)も類作はせぬがよろし

「お」  煽てられたら少しは乗ってみるがよろし

「わ」  判るまで勉強するがよろし

「か」  カメラは自慢せぬがよろし

「よ」  夜も写るフィルムはよろし

「た」  誰も出来る事せぬがよろし

「れ」  例会は真剣にやるがよろし

「そ」  ソツと控ゑ目、内容ある作品よろし

「つ」  常にカメラと離れぬがよろし

「ね」  熱心、粘り、は最もよろし

「な」  夏の暗室出た時よろし

「ら」  ラクに出来てもいゝものはよろし

「む」  無理にやつてもいゝものはよろし

「う」  写るのはあたりまへと心得るがよろし

「ゐ」  井の中の蛙、自惚れるがよろし

「の」  のぼせた写真家冷すがよろし

「を」  女の写真家もつと増へてよろし

「く」  首にかけたカメラ伊達じやないと知るがよろし

「や」  やめたい人はやめるがよろし

「ま」  まるで下手でも根気ある人よろし

「け」  けつして油断をせぬがよろし

「ふ」  フイルムの供給円滑なるがよろし

「こ」  斯の道ばかりと思ひ込むのはよろし

「え」  英気養ふ日曜よろし

「て」  敵も適度にあるがよろし

「あ」  アマチユアーとて甘やかさぬがよろし

「さ」  醒めたる人々振ひ立つがよろし

「き」  嫌ひな作品学んでよろし

「ゆ」  夢をもつ作家大いによろし

「め」  眼の肥ゑた人多い程よろし

「み」  水あらひは丁寧にするがよろし

「し」  失敗位は恐れぬがよろし

「ゑ」  縁のあるモデル手荒にせぬがよろし

「ひ」  ヒカリの画集は売行よろし

「も」  もう少しで推薦、残念なのもよろし

「せ」  セメテたまにはホメられてよろし

「す」  すぐに天狗にならぬがよろし

「京」  きようの写真より明日の写真よろし


 久しぶりに読み直してみて(読み返す度に発見もあるのだけれど)今までは「戦前の大変な時代だったんだな」と単純に読んでいた「ふ」の文‥‥

「ふ」  フイルムの供給円滑なるがよろし

今現在、そして写真のこれからを考えると、この言葉がしみてくる。
フィルムもペーパーも薬品も、いつまで「円滑」に入手できるか。「円滑」でない理由は安井仲治の時代とは全く違うが‥‥。

「京」  きようの写真より明日の写真よろし

この気持ちでいこう!

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